本の扱い方については、色々言われますよね。

投げない、とか、ページを破かない、とかは
まぁ当然ですけど、気になるのもあります。

例えば、書き込みをしない、とか。


そりゃぁ、図書館や、人から借りた本には、
書き込んじゃいけません。

でも、自分の持ってる本に関しては、
当てはまらない、と自分は思います。


中世ヨーロッパの修道士なんかは、
手書きで写した聖書の余白に、
解釈、注釈などを書き残しました。
(聖書が古代語で書かれてたから、ってのもありますが)

聖書の原文だけでなく、
この余白のノートも書き写される事があったそうです。

英語で、用語集のことをglossaryと言うんですが、
語源は、この余白の注釈を意味する、glossって言葉。

聖書の冒涜、と思うどころか、
逆に、余白に書き込むことで、
知識を蓄積してたわけです。


余白と言えば、有名なのがフェルマーの最終定理。

サイモン シン, Simon Singh, 青木 薫
フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで

17世紀フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーは、
古代ギリシャ人ディオファントスの「算術」と言う本を読みながら、
本文に関連したアイディアを、余白に書き残してました。

そんなメモの1つが、フェルマーの最終定理。

「この定理の素晴らしい証明を知っている。
ただ、この余白はそれを書き記すには狭すぎる。」
って言うコメントとともに書かれてたんです。

11年前まで、この定理の証明は見つからなかったんで、
本当は、証明は知らなかったと思われてますけど(笑)
これも、余白に書く事で残された知識の1つです。


以上、前置き(笑)
余白に色々書き込みたいなぁ、って本を最近読みました。

金田一 春彦
日本語〈上〉
金田一 春彦
日本語〈下〉

「日本語は○○、外国語は△△」、って言う風に、
一言で言い切ろうとするような本もありますけど、
そういう事はせず、
日本語にはどういう特徴があるの?、
っていう疑問を、真剣に追求した本です。
(文法の話は難しいけど、他は読みやすいですよ)


日本語については、著者にはどうやってもかなわないんで、
勉強させてもらうばかりですけど、
英語とかについてコメントするとき、
本当にそうかな?、って思うことがあるんですね。

それを余白に書きたいな、と。
...文庫本だから狭くて書けないんだけど(笑)

とにかく、色々思うことがあるんで、
読んだ人がいたら話をしてみたいなぁ、と思います。
これから読んでみる、って人も、いつでもいいんでお話しませう。


最後にまとめると、
本を書くような人は、それなりに物を知ってる人が多いけど、
人間である以上、間違う事もあるし、説明不足な事もあるんです。

書き込む方の自分も、間違う事があるし、
著者の説明不足というより、読解力が足りないだけかもしれない。


そんなわけで、本に書き込むってのは、
本としっかり対話しよう、って態度の現われだと思うんです。

著者は間違ってて俺は正しい、って主張したいわけじゃあないし、
本を大事にしてないわけでもない。

他の場所に書き留めても問題が無いのなら、
それもいいですけどね。

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